2011年1月7日金曜日

尾島利雄先生/アルバム写真から   series①

 このネットショップ「下野・会津・津軽 手仕事専科」を立ち上げた際に、「Policy(和美との生活)」で「出会いと学び」の中で「尾島先生」をご紹介しております。

 尾島先生との出会いは、昭和55年に那須ビューホテルに入社し「営業企画」担当になった時でした。下野手仕事会の顧問として、親身に「下野手仕事会」企画展についてアドバイスを頂戴いたしました。また、毎年正月元旦からの2日間ホテルの夕食会場で栃木県内の「郷土芸能」を実演紹介しておりましたが、初日にステージで郷土芸能のご紹介を尾島先生に行っていただき、翌日の紹介を企画担当の私が紹介するものでした。また、実演後に御相伴をするのですが、末席でいろいろと伝統芸能や手仕事について教えられました。「名もなく貧しく美しく生きた人々」という言葉を尾島先生は、古の郷土の人々を指してよく使いました。私には、けっして忘れられない印象的な言葉です。

 尾島先生は、枕が違うと眠られないことから、決して泊られることはなく、御供の横田則夫さんや大西さんに伴われて、遅くに戻られていました。それ以来、現在までのお付き合いとなっております。その間、私の赴任地の青森県星と森のロマントピアあぶくま洞にも幾度も訪ねていただきました。心から感謝しております。

 ただ、尾島先生の民俗学著書は、沢山あるのですが、ホームページ上で尾島先生のご紹介はなく、何とかホームページ上でご紹介出来ないものかと考えておりました。今回、「下野・会津・津軽の歴史街道」ブログを立ち上げたことで、下野の民俗、伝統芸能や伝統的民芸品、工芸品の歴史をご紹介することにいたしました。
 尾島先生に「下野・会津・津軽 手仕事専科」により下野手仕事会の方々の作品を販売することを報告いたしましたところ、とても喜んでくれました。私も先生へ恩返しが出来たように思い、嬉しく感じておりました。

 そのようなことで奥様の栄様から、尾島先生のアルバムを7冊ほどお預かりして参りました。尾島先生は、お母様から大切に育てられ、ひじょうに母親想いの方でした。講演では、お母様のことに必ず触れられ、ご紹介しておられます。その際には、昭和裕仁天皇のご高覧の折に尾島先生は、県知事とともにご進講(説明)されておられますが、そのことをお母上にご報告できたことが、何よりも嬉しい恩返しだったと述べられていました。

 沢山の写真から、幾つかのシリーズに分けて、ご紹介したいと思います。尾島先生は、栃木県立博物館学芸部長を最後に退官後は、とちぎ民俗文化研究所所長として、年間約60回もの講演をこなされておりました。ひじょうに情熱的な語りで、最初の第一声で聴衆を惹きつけてしまう話術は、ホテルのイベントや結婚式の司会を行う私には、雄弁なモデルでした。コツは、「情熱を持つこと」「そのものを好きになること」でした。言葉を覚えるのではなく、「想い」を醸成して、情熱を持って「想い」を伝えることでした。

 今日は、series①であるので、簡単に尾島先生の数枚の写真だけをご紹介いたします。
■経歴■
尾島利雄(おじまとしお)
昭和8年  栃木県小山市乙女に生まれる。
       宇都宮大学に学び教師となる。
       東京教育大学民俗学研究室にて民俗学を研究。
       民俗学に関する著書多数。
       栃木県立郷土資料館長(元)
       日本民俗学会評議員(元)
       下野民俗研究会理事長(元)
       栃木県立博物館学芸部長(元)
       とちぎ民俗文化研究所所長(元)

著書    日本の民俗栃木、栃木県民俗芸能誌、下野の伝説、
       生きている民俗探訪栃木、俺はやんなっちゃった、
       それみたことか俺があんなにいったのに、
       栃木県の年中行事、
       祭礼行事栃木県

●画像をクリックすると拡大します。

尾島先生の退官・還暦記念の祝賀会
(平成5年3月27日)
尾島先生と奥様の栄夫人

退官記念講演
演題「下野民俗への道」

皇室の高円宮と尾島先生
尾島先生と横田則夫さん
四国へ那須の与一取材
尾島先生と大西さん

郷土芸能の披露
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