2010年12月30日木曜日

「下野・会津・津軽の歴史街道」ブログ誕生!

 2010年の年の瀬を迎えて、新たに二つのブログをスタートいたします。
ひとつは、「下野・会津・津軽の四季風景」また、もうひとつが「下野・会津・津軽の歴史街道」です。
 「下野・会津・津軽 手仕事専科」のサイトが、日本の伝統的工芸品、民芸品を取扱い、国内はもとより海外に販売することを目的としておりますが、写真による外観や機能性の商品説明だけでは、言葉不足を感じておりました。手仕事商品の取材で各地の工房を訪ねる度に、それぞれの手仕事が、歴史的な背景を色濃く持ち、その時代の為政者の殖産にかける想いを感じずにはおられませんでした。
 そのようなことから「下野・会津・津軽の歴史街道」ブログのスタートに至りました。私が「歴史街道」という言葉を知ったのは、平成7年に青森県へ単身赴任が決まった頃に目にした月刊誌に「歴史街道」がありました。三内丸山遺跡の縄文遺跡が紹介されており、それでインパクトを受ことを記憶しております。実に壮大な縄文遺跡であり、それ以来「歴史街道」を購読しておりました。

 私の住む那須塩原市には、三斗小屋温泉があり、その地は、那須連峰茶臼岳の北側になるのですが、それが、山岳地帯をとおる旧会津街道の道でした。また、国道294号線は、水戸市から会津を通り新潟に抜けるのですが、それが茨城街道でした。また、会津若松市から会津本郷焼の市内を通るとそこには、日光街道の道標が目につきます。
 同じく、津軽へつづく道に奥州街道があります。栃木県那須町伊王野には、道の駅東山道がありますが、これらは、旧奥州街道です。こちらをとおり旗宿・白河の関へと続きます。

 「手仕事専科のBlog」ほどの頻度ではありませんが、取材の折に少しずつこれらの街道にまつわる史跡や建造物の歴史を紹介して参ります。

《街道の紹介》
1.下野の街道
  下野街道(会津西街道)(あいづにしかいどう)
               江戸時代に会津藩主・保科正之によって整備された、下野の今市から会津の
              若松城下に至る街道。

大内宿
 
知将 蒲生氏郷の墓所

       日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)
     徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道で
     ある。中山道の倉賀野宿を起点として、楡木(にれぎ)宿にて壬生通り(日光西街道)
     と合流して日光坊中へと至る。
日光杉並木

日光東照宮
        日光街道(にっこう かいどう)      
     日本の江戸時代に設けられていた五街道(東海道、中山道、奥州街道、甲州街道、
     日光街道)の一つ。 江戸日本橋(武蔵国豊島郡日本橋、現在の東京都中央区日本
     橋)を起点とし、日光坊中( 下野国都賀郡日光東照宮、現在の栃木県日光市山内)
     に至る街道。 道中には21の宿場がある。
2.東北の街道
  奥州街道(白川-三厩)
    奥州街道は江戸から宇都宮~白河~福島~仙台~平泉~盛岡~青森~津軽半島の
     三厩屁と至る日本最長の街道。この中の江戸~宇都宮間は日光街道と同じ道をたどる。
     また江戸~白河の区間は幕府道中奉行が管轄し奥州道中と呼んでいた。ここでは
     宇都宮~三厩を奥州街道としている。距離は約836km、日本橋からだと980km
     におよぶ。
     奥州街道を歩くと氏家の手前で鬼怒川を渡る。この氏家に阿久津河岸跡があり、川船
     で東北地方の物産を江戸に送る交通の要所として明治の中期まで栄えていたという。
   羽州街道(桑折-油川)     
     江戸時代の享保元年(1716)「五街道に関する触書」により東海道53次、中山道67次、
     日光道中23宿、奥州道中10宿(白河まで)、甲州道中45宿が正式名称となった。
     「羽州街道」は、奥州街道の福島県桑折から分かれ宮城、山形、秋田そして青森油川
     までをいうが、正式には「羽州街道」という名称はない。
     昔は地方の名称「小坂道」「山中七ヶ宿街道」「最上街道(道)出羽山形」「秋田街道

     (佐竹街道)」「下筋街道」「碇ヶ関街道」「外ガ浜街道」を使用していた。つまり「羽州
     街道」は地域性の強い諸街道の総称である。また奥州街道は白河からは脇海道となり
     青森三厩までの街道である。
     羽州街道58宿のうち山形県内は14宿で、間の宿(金山宿・上山)1宿が設置されて
     いた。参勤交代でこの街道を利用した大名は、陸奥国弘前、黒石藩、出羽国秋田、
     亀田、本庄、矢島、松山、新庄、庄内、長瀞、天童、山形、上山藩の13家であった。
     この街道は、諸大名の参勤交代だけでなく物資や文化を運ぶ動脈で、特に羽黒山、

     湯殿山、月山の出羽三山を参詣する白装束の行者 が大勢(年間2千人以上)行き
     来したという。

弘前城 下乗橋

 東北の諸街道
       江戸浜街道(江戸-岩沼)
       水戸街道(矢吹―水戸)①
       白河街道(若松―白河)②
       会津西街道(若松―今市)③
       越後街道(若松-新発田)④
       二本松街道(若松―二本松)⑤
       岩城街道(郡山-平)
       笹谷街道(仙台―山形)
       二口街道(仙台―山寺―山形)
       関山街道(仙台-東根)
       軽井沢越最上街道(吉岡-尾花沢)
       中山越出羽街道(吉岡-堺田)
       金華山道(仙台-金華山)
       気仙道(小野-釜石)
       板谷街道(福島-米沢)
       会津街道(米沢-若松)⑥
       越後(十三峠)街道(米沢-新発田)④
       六十里越街道(山形-鶴岡)
       米沢街道(米沢-上山)⑦
       羽州浜街道(秋田-鼠ヶ関)
       舟形街道(舟形-出羽三山)
       気仙沼街道(金沢-気仙沼)
       盛街道(水沢-盛)
       遠野街道(盛岡-釜石)
       宮古街道(盛岡-宮古)
       久慈野田街道(盛岡-久慈)
       三陸浜街道(釜石-八戸)
       鹿角街道(盛岡-大館)
       小安街道(築館-十文字)
       本荘街道(湯沢-本荘)
       平和街道(花巻-横手)
       秋田街道(盛岡-角館)
       阿仁街道(角館-小繋-坊沢)
       男鹿街道(追分-男鹿)
       登り街道(福岡-八戸)
       三戸鹿角街道(八戸-毛馬内)
       大間越街道(金光寺-弘前)
       百沢街道(弘前-鰺ヶ沢)
       田名部街道(野辺地-佐井)
       ※会津5街道(①~⑦)

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