2018年3月6日火曜日

坂下初市-奇祭大俵引き

先日、奥会津の間方地区の菅家藤一(工房間方の代表者)さんを訪ねる時に坂下町で大きな俵が祀られているのを見かけました。
神社のお祭りがあるのだろうと思い調べましたら、「大俵引き」の祭りがあることが分かりました。
最後にご説明をします。
手仕事専科 http://tesigotosenka.com
工房間方   http://www.geocities.jp/hwfhb259/kobomakata.html
会津坂下町の街道沿いに
鎮座している大俵です。
長さ4m、高さ2.5m、重さ5t
上町(東方)が勝つとその年のコメの値段が
あがり、下町(西方)が勝つと豊作になると
言われています。
どちらが勝っても良いようです。
289号線沿いの神社
間方地区にある祠です。
雪に埋もれていました。

[風習]や[伝承]いう言葉がありますが、民俗学では、格好のテーマです。
私の恩師である尾島利雄先生は、民俗学の大家です。
(尾島先生は、私の青森や福島の赴任地にいく度も訪ねてこられ、手仕事専科の立ち上げの際には、御夫妻でとても喜んでくれました。)
伝統工芸や民俗学には付き物の神楽踊り、太鼓や三番叟などの地域に伝わるお祭りの保存・継承に務められていました。
天皇陛下のご行幸で、栃木県の伝統的手仕事のご進講には、必ず尾島先生が、当たりました。
私は、未熟者で、これらの事柄については、専門的な知識を持ちません。
しかし、尾島先生「清く貧しく美しく生きた人々」という言葉に触れるたびに、当時の庶民の生きざまを感じていました。
神道は、日本の自然宗教的なものと思っていますが、地域に連綿と残る神社や祠を見るとその地域の人々の生き様や歴史を感じます。

戦後72年といいますが、今の日本を見ると豊かになったけれども、かつての日本人のもつ魂を感じられません。
かつての日本人の生き様は、歴史の中に見ることが出来ます。
豊かな四季の恵みから自然の美しさを愛で、詫び寂びの世界を観ています。島国であることから、素晴らしい海と山の幸の食文化を持ち、大陸に隣接することから、その文化を取り入れながら、島国の中で独自に醸成してきました。
江戸時代は、殺戮もなく世界に誇れる文化と治世だったといいます。
明治を迎え、帝国主義という世界と直面し、大きく生きざまを変えてきました。
列強の四海の中で、植民地にならずに戦ってきましたが、列強相手の第二次世界大戦で甚大な結果を蒙りました。
360万人もの国民が亡くなり、豊かな国土は、荒果て荒野に帰しました。
戦後の私たちは、その歴史を帰り見ないで生きてきました。
第二次世界大戦に至る歴史の本質を直視することなく耳を覆い欺瞞の上に為しえた経済発展に思えてなりません。
「360万人もの人々の死を無駄死ににしてはならない。」
直視することなしには、戦後は、終わらないと思います。

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坂下初市 奇祭 大俵引き
1月7日の柳津町七日堂裸参り、1月10日(毎年第二土曜)の会津美里町高田大俵引きと並んで「会津三大奇祭」に数えられる会津坂下町初市大俵引きは、毎年1月14日に行われています。

坂下(ばんげ)が越後街道の駅所として整備された寛永年間から400年続いている初市の日にあわせて大俵引きも行われてきました。
昔も今も米どころの坂下の農民が2組に分かれて米俵を引き合い、その年の米の価格を占ったのが始まりだそうです。
新編会津風土記にも、坂下の初市と俵引きについての記述があり、「その壮観これに過るものなし」と記されています。

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