2020年11月22日日曜日

「史学の勧め」Vol001

 高校時代を振り返ります。当時社会科の先生が居られましたが、私の参加したクラブ活動の顧問で人気のある方でした。社会科の授業で「経済学は有益だが、古典や歴史は生産性がない科目だ。」と言っていたのを思い出します。女子高の担任だった時に見初めた教え子の女性と後に結婚し、お二人のお子様にも恵まれました。そして、お二人とも揃って東大を卒業されたと聞きます。私の好きな尊敬できる先生でした。先生が社会科の授業で述べたことも当時もその後も同じように思っていました。歴史に対する経済の優位性です。


しかし、昨今は旗日に日章旗を掲揚しない家が当たり前になり、国際大会の金メダリストが国歌斉唱で口を開かない姿を見ます。隣国三カ国の反日報道、従軍慰安婦や徴用工問題、南京大虐殺の非難を聞き、国内の大手メディアから有識者のそれらを是認するコメントを聞きます。総理大臣が靖国に参拝することにも非を唱え、アメリカのジョーバイデンやヒラリークリントンが、それらの非難に追随したコメントを出しています。巷では、アメリカが言うことだから、正しいのだろうと思う世論が作られています。それ程に日本は、戦後75年が経過するのに未だに非難されるほどの悪いことを戦前にしていたのでしょうか。

私は、歴史や政治については、無関心で生きてきました。国際問題や教育は政治家や歴史家に任せていれば安心と思っていました。それが、長いサラリーマン生活をリタイアし、自由な時間が得られそれらの歴史を知る機会が増えました。facebookでは、ネトウヨとパヨクと言われる人々が、賑わっています。フェイクニュースも当たり前の人達と思っています。それでも、真摯に投稿している人達もいるのですが、玉石混淆のようです。それらの投稿から、自分なりに歴史を振り返るようになりました。その結果、私達が任せていた政治や学んだ歴史観が、とてつもなく酷い惨状であることを知りました。高度経済成長期は、経済の富を求めることが、筆頭に来る課題でした。私もサラリーマン時代を昇進と給料の増えることだけに邁進していました。それが、今になり誤りだったと気づきました。冒頭に述べたように旗日に国旗掲揚をしない家が当たり前になり、国歌を歌うことが格好悪いことになってしまった最大の要因です。

幾つかの一級資料と言われる史実に基づき真摯に編纂された歴史書を紐解くと戦前戦後の大東亜戦争の経緯と戦後の連合国による占領統治や東京裁判が違法であり、彼らの唱える歴史が、全くの嘘捏造だったことが明白となります。それが未だに自国民によって、続いていることにその問題の根の深さと悲しさを覚えます。一見、経済能力は優位に思えますが、人の根幹をなす精神は歴史と文化から作られ育まれるからです。日本人の世界に鑑たる素晴らしさは、その長い歴史から培われてきた精神性です。高校時代に誤って思っていた文化と歴史の大切さを今思い知りました。「敗戦利得者」なる言葉も知りました。日本人の徳目に「寡黙にして語らず。心理は自ずと明らかになる。」があります。この徳目は、世界には通じません。悪い輩は、「息をするように嘘を吐く。」のです。寡黙であっては、成りません。「学問の勧め」ならぬ「史学の勧め」を提唱します。私達の現在と未来に苦根を残さないために。

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2020年11月20日金曜日

「君が代を歌わない」、「国旗掲揚を行わない不思議」

 時折に「国旗掲揚」されないことをfacebookに投稿していました。記紀に始まる日本の歴史を振り返り、「国旗・日の丸の旗」の歴史や読み人知らずの「君が代」の歴史を知ります。「君が代」は10世紀に編纂された勅撰和歌集『古今和歌集』巻七「賀歌」巻頭に「読人知らず」として、世界で最も古い国歌と言われます。それ程に歴史のある国歌と国旗ですがが、何故かオリンピックの表彰台で栄えある選手の歌声を聞くことはありません。おなじく旗日と言われる国旗掲揚の日が年間16日あるのですが、その日に国旗掲揚する家庭を見ることは一度もありませんでした。私にしても国旗掲揚の日の丸の旗と国旗竿を準備したのは、一昨年です。それ以前には数年前にある町内の家で一軒だけ見ることがありましたが、広島県御出身の方で、大きな会社の役員を務めた居られた方です。その方がお歳を召されたからか最近その家に掲揚を見ることは無くなりました。

下野・会津・津軽の歴史街道として、ブログを書いています。手仕事専科の工房の歴史を尋ねると古くは600年代の朝鮮からの帰化人にまで遡る手仕事も、また、正倉院の建物や宝物にまで遡るものとなりました。当然、手仕事が一朝一夕に生まれた訳ではなく、背景にはそれがうまれて来た脈々と流れる歴史を見ることが出来ます。私には悲しいことがあります。その手仕事の歴史を知るうちに日本の記紀に始まり記された歴史が世界でも類稀な歴史であることを知ったからです。それが、その歴史に記される素晴らしい国歌、国旗が、日本民族の末裔である我々の時代に”疎んじられている”姿を見るからです。なぜに現状のような姿になってしまったのでしょうか。

私は昭和25年の生まれです。物心つく小学生の頃は旗日には、適当な長さの真竹に国旗と国旗金玉を載せて、縁側の柱に括り付けて掲揚していました。勿論、小学校や全ての役所でもです。中学、高校でも近現代史は、3学年の後期の授業となり、殆ど第二次世界大戦のことを詳しく学ぶ機会はなかったように思います。漠然と第二次世界大戦は日本の軍部が独走して始めた戦争で、ドイツ、イタリア、日本がファシズムによる悪の国家で民主主義の米英仏等が正義の戦いをしたと理解していたように思います。2発の原爆も東京大空襲や東京裁判も正義だったと。日本を戦争に導いた人達が、正義のアメリカ、西洋諸国によって裁かれたのだと。周囲にはどこにもそれに異を唱える人達も教育者も見ることはなく、アメリカは、素晴らしい個人の自由と権利をまもる民主主義の国家だと思い疑うことはありませんでした。大学に進んでも全共闘の学生たちの活動にも耳を貸さずにいました。なぜ、彼等が共産主義国家の主義主張に共感するかが分かりませんでした。

それからは、政治や教育、歴史には我関せずでサラリーマン生活を過ごしてきました。私の性格が由来したのかと思います。上席に従順な生き方となる公務員と教職員にはならないと決めていたからです。30年のサラリーマン人生を終え、その後に自由な伝統工芸品、伝統食品の通信販売である「手仕事専科」を立ち上げました。還暦の時です。そして今、古稀を迎える年代になり、中国や韓国の日本を非難する「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」の声を聴き、サラリーマン時代に不思議に思っていたことがありました。私たち日本人は、そのような酷いことをして来たのだろうかということです。日本軍の規律は厳しかったと聞いていました。そのようなことから、靖国参拝を唱える人達の声を聴き、それらの史実を学ぶ機会が増えてきました。渡部昇一氏は多くの著書で近現代史を書いていますが、彼が主張する史実は、真実に近い常識的なものと受け止めています。彼は元々は英文学者です。歴史家から見ると彼の史実に異を唱えることもあるかも知れませんが、主流に置いては間違いではないだろうと思います。彼等の唱える史実は、正しい理解だろうと思います。世界が如何に自国の利益の為に動いているかが分かります。そこには正義の一欠けらもありません。その史実からは、英米仏の西洋諸国、共産主義国家ソヴィエトや中国が、悪の権化であるかが見えてきます。それにただ一国の日本国だけが対峙したことが分かります。その素晴らしい意気地を持つ日本国の私達の先人が、何故にこれほどの賤し目を受けなければならないのか、それが私の憤りです。未来の人達の為に戦い死んでいった彼等の守ろうとした末裔の私達が、先人に感謝し敬わず弔うこともしないなどとはあり得ないことです。

アメリカのなした洗脳です。詳しくは別の項で触れますが、自分たちのした劣悪非道なことを隠蔽し日本を悪の権化として日本人に刷り込みました。かつての日本の正しい歴史の記録を焚書として葬り去りました。その嘘と捏造の歴史をひろげたのは、戦前からの社会主義者達「敗戦利得者」であり、同時に公職追放で黙してきた人々や自民党政治です。彼等は、アメリカの都合の良いことに与し、日本人の誇りや歴史、国益に反することを是としています。明治を作った人々には無い精神です。彼等は、如何に白人列強諸国から日本国を衛かを思い政治にかかわった人々です。「報国の士」です。

「憂国」の言葉があります。古稀を迎える齢となり、今更ながら、正しい史実を知らない人達や子ども達に広く知らしめ日本人としての誇りと夢を持つ子供たちを育てたいと思います。

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